宇宙の如く私語するぷふぃ

ほれ、聞いてみろ。そこにはまだ呟きが聞こえるのだ。

天才

稲葉振一郎氏のブログによると市野川容孝氏が安藤馨氏を天才とベタ褒めしたいたらしい(「安藤馨」の検索結果 - インタラクティヴ読書ノート別館の別館)。

わくわくしながら安藤馨氏の著書『統治と功利』をパラパラ頁をめくってみた(本当に「めくってみた」がふさわしい)。う~ん。天才・・・・・・ねぇ・・・。

すごくきれいで整った著書だなあ、というのがパラ読の「印象」(感想ですらない)。しかも博論ではなく「修論」のリライト版であるとのこと。恐れ入る・・・。

でも、なんかなあ・・・。ないものねだり、とか同年代のひがみ根性丸出しだけど(その点ひがむには十分すぎるだろう一冊だ。素人だから学問的価値とかはわからんが)、なんか優等生な(だけの)匂いを感じるのは僕だけなのかなあ(いや、優等生で何が悪いといわれればそれまでなんだけど、例えば、ピアニストの中村紘子は「最近のピアニストは技術ばっかで狂気がなくてつまらん!」と宣うていた(「婦人公論」2009年9月7日号))のと同じような感想を覚えるんだけどなあ←いつからぼくは、そんなに「大物」になったのだろう?)

勿論、元が修論なんだから、論文審査員の審査を通るのが第一だろうけど、でも、「天才」と、あの!(←一体どの?)市野川氏が「天才」とベタ褒めしたいた人の書いたものだから期待していたら、「天才」というより「秀才」な感じの一冊に感じた(←本当どうしようもない感想だな。)安藤氏はちゃんと60歳すぎてもちゃんとした研究つづけるのかな?と神のみぞ知ることをぼんやり思わせられるような、優等生な一冊だった。

 

話変わるような気もするけど、研究しない「研究者」って何なんだろう?はっきり言ってそんなの「踊ろないダンサー」くらい語義矛盾じゃない?そりゃ人間というか、集団生物では「2・5・3」の法則とかから逃れられないのだろうけど、「5」って本当?『最高学府はバカだらけ』なんて本が出版されているけど、そこで主にバカ扱いされているのは学生だけど、教授陣は本当に「2・5・3」の法則満たしてる?ちゃんと研究発表してる?明大教授の司法試験漏洩事件のニュース記事に対するコメント見てると、「大学教授」に対する不信感が強いみたい。それって、宿題やってこないようなバカ学生のルサンチマンとかいろいろあるだろうけど、でも放っておいていいような話でもないはず。この点「反知性主義」とかの特集(現代思想)に寄稿するような学者先生は如何お考えなのだろうか?「反知性主義」(この特集ではバカの別称らしい)が社会に蔓延していると言って、社会の勉強嫌いの傾向に警鐘鳴らしてないで、冬眠学者とか最高学府の研究の質や量の低下をテーマにしたほうがよほど有意義で、かつ雑誌の売れ行きもいいんでないの?

学者に多くのことを望んではいけませんとか言うかもしれないけど、あと、研究は数でもないし、時間もかかるものです、ゆっくり見てあげましょう、とかあるだろうけど、でもさあ、ちゃんと隣りの人に「お前ちゃんと研究しろよ」とか言ってる?そんなことが言えない集まりが、やれ「言論の自由」だなんだと騒いでも説得力ないの当たり前でない?ジャーナリストだってそうでしょ?大学の問題なんて騒ぐときは大抵政治的な問題でしょ?もっと単純に「仕事」やれよ!ってキャンペーンはってよ!

でも、そんなこと言うと、お前らジャーナリストこそ仕事してんの?って切り返されるし、寄稿もしてもらえなくなる結局無理ゲーなのでしょ?「品格ブーム」で様々な「○○の品格」出てるけど、そんな悪ノリの真っ只中でさえ「出版(社)の品格」とか「研究(者)の品格」は出版されない(もちろん、そんなタイトルでなければ、そういうテーマに真面目に取り組んでいる仕事もあるけど、やっぱり総体としては沈黙でないかな?)。

というわけで(総体として)皆「イイカゲン」な仕事に落ち着いて、消費者の失望を買って、「反知性主義」的、大声ばかりが蔓延しているということではないのかな?

安保反対!?

職場の近くで安保反対のママさんたちがデモ行進していた。

ママさんたち頑張っているなあ、と(米騒動に見られるようにママさんたちのがんばりは大事だと)関心していた時のこと。

隣りの同僚が言った「あいつら何にでも反対する奴らだからな」と。

そういお前は、安保反対してる奴に反対だけしてる奴だろうが!と言いたいのをぐっと我慢していて、ふと思う。

たしかにデモ行進って「○○反対」しか掲げないなあ、と。何で?

安倍政権にNO!」「消費税増税反対!」「安保反対!」「原発反対!」・・・・・・、たしかに同僚の言うことも一理ある。「何でも反対」とか「反対しか言わない」というのは、ちょっと違うけど、でも確かに「NO!」しか言ってない!?考えてみればヘンだ。

確かに、「NO!」の方が人は集まるだろう。安倍政権にNO!⇒民主党にYESだろうと、維新の党にYESだろうと、共産党に・・・(以下略)。それに威勢もいい。「○○に万歳」だと狂信者のレッテルを貼られるのがオチだろうな。でも、どうなんだろう。

やっぱり「○○にNO」と掲げることにより、大同団結を図るというのは誤魔化しの部分も否めない。そういう「敵の敵は友」とするやり方における虚偽ってやっぱり見抜かれてるんじゃないかなあ。プラカードに書ける文字数の制限とか、シュプレッヒ・コールにける単純明快性とか、いろいろ制限もあるだろうけど、でもやっぱりどう言い繕っても、誤魔化しは否めないよね。いや、こんなブログでブツクサ文句たれてるだけの奴に言われる筋合いじゃない、と言われるだろうけど、でも、さ。

とりあえず、安倍政権倒してから、これからの日本の未来のビジョン考えましょうみたいな。少なくともそう捉えてる人は多いんじゃないかな。なんかそういうのって、とりあえず法人作ってから、会社の目的考えましょう、みたいないい加減さがあると思う。

戦争NO!平和YES!を掲げるときに、一番大事なのって、「話し合い」と思うんだけど(話し合いをないがしろにするとき戦争は始まっている)、今までどおりの主張や手法だと、その一番大事なものを醸成する空気を破壊してしまってる可能性はある。安保を撤回しても、そういう話し合う場、とか、空気が破壊されたら「産湯といっしょに赤子を流す」ことにもなりかねない。特効薬や万能薬がないことはわかりきってることだけど、でも、もう少し何とかならないかな?何とかしたいな。難しいけど、大事なことだから頑張りたいな。

 

 

 

ビックリした!?

ボクはこの他にもブログを開設してるのだが(自分が気に入った本の一節(?)とか適当に書き散らしております(。・ ω<)ゞてへぺろ♡)、そちらで高橋和巳とか取り上げていて、「高橋和巳 ブログ」でググっても最近は2ページ目に挙がっていたりしますm(._.)m

それはいいけどじゃあ、「庄司薫」ではどうか、と検索してみると、何ページ目か見当がつかない。というか、両者の名前でブログで取り上げられる率が段違い・・・。なんなのこれ?

高橋和巳が早逝だったから?いやいや、世の中むしろ早逝の英雄は歓迎されるし・・・。高橋和巳の方が全共闘世代に耳が痛いから?そんなわけないと思うのだが・・・。古さで言ったらもはやどっちもどっちだし。文学的価値の問題?文の巧拙?それはわからないなあ。う~ん。どちらも好きだからいいんだけど、高橋和巳の方がネチネチと暗いから、と言ってしまえばそれまでなんだけど、なんかもやもやする。

庄司薫は文体こそ軽やかではあるけれど、格闘している「深刻さ/暗さ」はどっちもどっちだと思うんだけどなあ・・・。個人的な印象では、すっごい可愛い天使みたいな笑顔を浮かべて「お兄様大好き」なんて言いながら出刃包丁でぶすっと刺し殺すのが庄司薫で、高橋和巳が、絶世の美女が問答無用に「死ね、クズ」と一言言うが早いか、日本刀で一刀両断という感じ。もっとざっくり言ってしまうと、あなたは「セクシー派?キュート派?」あるいは「お姉さま派?妹派?」という感じか?要するに、やっぱり日本人はロリコン趣味が多いということか?どうでもいい話だけどさ。

でもさ、薫くんのお兄さんたちと憂鬱なる党派たちが出会っていたらとか想像してみるとけっこう愉快で電車とか乗ってるとき想像するのはなんかいい気分だ。この会合に猛夫が乱入したらさらによい。もうてんやわんやと言うのも生ぬるい。「ぷふぃ。まいった、まいった。なぜ泣いてしまったのか?(←これは『堕落』だけどね)」なんて飲み屋でやっていたら、と想像したら、聞き耳立てたいような、さっさと逃げ出したいような・・・になりません?ならないかなあ?

それはともかく、高橋和巳人気が低迷していてやっぱり悲しい。盛り上がって欲しいなあ・・・。

 

日本人のチンコは世界一!

日本人のチンコ(勃起時)の硬さは世界一!・・・・・なんだってさ? 皆さん知ってました?

数年前に職場の同僚がボクに教えてくれたました(その同僚は、仕事もできるし、ルックスもまあまあイケてる、そして十二分なデリカシーの持ち主の、一言で言えばナイスガイな奴)。

それにしても、なんといっても「一番」って響きはやっぱりいいですよね?「二番」でもいいじゃない?と言われればまことその通り。仰る通り。オリンピックの銀メダル。銅メダル。いやいや、オリンピック出場ってだけでも、その国の「一番」とか、つまるところ「トップクラス」なんだからすごいこと。「一番」なんかにこだわるのは中二病をこじらせたザンネンちゃん、と言われれば、返す言葉もない・・・(でも「一番」が・・・ゴニョゴニョ・・・)。

はてさて、言われてネット検索すると、確かにもっともらしく「チンコの硬さ」が語られたりしています。しかし残念ながら典拠が示されない。遺憾なことである。

では、一体どういう生物学的進化を遂げると、勃起時の硬さが特異な進化を遂げるのだろう? 馬のチンコはわかりやすい。あんなに大きな体格でチンコが小さかったら大変でしょう?生物の中にはいったん挿入したらメスが暴れてもいいように、チンコにトゲトゲが生えている生物もいるという。(余談だけど、メスのまんこの内壁はそのトゲトゲによって傷つき、メスの寿命を奪うそうな。)

チンコの大きさ、形状にまつわる進化は当然、オスとメスの格闘の歴史である。もし、日本人の勃起の硬さが世界的に特異な進化を遂げたのであれば、一体どのような歴史的格闘を繰り広げてきたのだろう?なにせ統計学的に有意なデータが示される事もなく、言説だけが一人歩きしている状況なのでコメントしようもないのだが。(誰かご存知なら教えてくださいね。)

マジでデータが示されたら大変面白い。もしその言説が真実ならば、硬くならざるをえない状況が存在していたわけだから、おそらく日本人の女性のまんこは、世界一「狭き門」だったのでしょう。ひょっとしたら、日本人の男性の前戯は世界で群を抜いて「ドヘタ」で、女性が全然濡れていないにもかかわらず挿入しなければいけなくて、それで「固い進化」を遂げねばならなかったのかもしれない。しかし、そうすると日本人器用説が覆される・・・かもしれない(器用説も統計学的データはないだろうけど、外科のお医者さんがアメリカで働いたら、周囲の不器用ぶりに驚いたという。そして、紆余曲折あり、アメリカ人に箸でゴハンを食べる習慣を身につけさせたら劇的に器用になったという。やっぱり箸を使うのは相当の器用さを要求されるのではなかろうか?お医者さんは脇をしめるのが肝要であると仰っていた)。

そういえば、女性のまんこも名器って存在するらしい。自分ではさっぱりわからないのだが・・・。でもまことしやかに言われているし、岡田斗司夫が自身のフィールド・ワークの成果をネットで暴露され、それによると、やはり形状なんかが明記されていた。しかし、そういう「器」の比較研究が存在するなら、世界一の硬さを誇る日本人チンコなんだから、日本人マンコの方も世界一の「???」なんだろうけど、本当にこちらは何も言われていない。残念至極だ。でもおそらくこちらも世界一硬いんでしょうね。しかし、すると、日本人は世界一「産道」が固いわけだから、きっと世界一「帝王切開」が多いのでしょう。あるいは日本人の頭蓋骨は世界一「小さい」か「柔らかい」のでしょう。大丈夫か?日本人?頑張れ日本人!