宇宙の如く私語するぷふぃ

ほれ、聞いてみろ。そこにはまだ呟きが聞こえるのだ。

とっこうたい

父親から「息子よ、お前は神風特攻隊を知ってるか?」と問われたので「もちろんさ、父さん。自爆テロのことでしょ?」と返してみる。当然、つめた〜い視線が返ってきた。

 

いや、どう考えても自爆テロのことでしょ?その規模が小部隊規模であったとか、指揮命令系統に従った作戦だったとか、国家の軍隊が遂行したとか、そうでないかとか、標的がどうとか、そういう微細な差異(の省察が重要であることを強調する必要があるだろうか?)をひとまずかっこにくくれば「イコール」の等記号で両者を結ぶことはむしろ当然であり、微細な差異の省察のためにも必須な作業であると思う。

 

とういうか特攻=自分達(日本人)に貢献)/自爆テロ=自分達(日本人等)に不利益というカテゴライズしてるから、「特攻は賛美するけど、自爆テロは許さん!」なんて平気で言えるんじゃないかな?だっていわゆるウヨクならいいそうなものじゃないですか?「彼らのやってることはけっして許されるものではないが、だが、彼らの自己犠牲精神は、欧米流のジコチュー主義に毒された今の日本人が忘れたものを思い出させてくれるものである」とかね。

 

で、実際自分なんかも「妻子のためには命をかける」というノリが大好きだったりするので始末に困る。というか古今東西、そういった自己犠牲精神は黄金テーマでしょ?さらにさらにいったら、人類を超えて、およそ「類」のための自己犠牲精神は(たとえば子どものために命をかける動物たち)散見されるわけだし。

 

で、何がいいたいかというと、自爆テロの特攻者とか、神風特攻隊の特攻者を「クレイジー」の一言でかたずけるのに「?」の二つも三つもつけたくなるな、ということ。勿論中には、いろいろな特攻者がいたでしょう。そりゃ人数が多いもの。それで中には本当に「クレイジー」としかいいようのない人たちもいたでしょうよ。ただし、それは解釈を容易に受け付けないという意味でだ。「妻子のために死ぬ」のが正しいわけでもない。そんなの「正しいセックス」を定義するくらい馬鹿げている「子作りのためのセックス」は正しくて、「自分探しのためのセックス」や「快楽のためのセックス」はクレイジーですか?そういうカテゴライズこそ「クレイジー」ではないですか?

セックスの比喩を使うなら、あるのは「よい/わるい」ではなく、せいぜい「マニアックかどうか」という違いでしかない。

「祖国や妻子のため、あるいは教義のため」に自爆テロを行おうが、「自分探しのため」に自爆テロを行おうが、どちらも「自己保存」という観点からは十分「クレイジー」でしかないのだ。違いは皆無である。

 

さて、「自爆テロ」や「特攻者」をクレイジーとか、マインド・コントロールの被害者として、自分とはかけ離れた存在として隔離しておくことはおそらく二重に人間存在の冒涜を犯すことになるだろう。つまり、職務に忠実な殺人「イェルサレムのアイヒマン」の問題とそれを省察する我々の問題。彼らの「思考停止状態」をたんなる「バカ」と呼ぶことは現在の我々こそ「思考停止状態」であるとの謗りを免れぬだろう。

「彼ら」を「クレイジー/被害者」とか「バカ」とか呼んで「笑殺」してるうちは過去の亡霊にいつまでも祟られるしかない。あるいはマルクスやらマルクーゼの亡霊でも召喚してみようか?いや、くどすぎるのでやめておこう。やめておく。